<17. 指導内容の標準化>

 指導者が替わったために、これまで盛んに活動していたバンドが無くなってしまったり、メンバーの数が急に少なくなったりすることがよくあります。もちろんこの逆の場合もありますが、どちらも長い目で見るととても困ったことです。
 いいバンドを作るためには多くの楽器が要ります。それらはかなり高価なものもあり、いい状態で維持するためにもいろいろとお金がかかります。
 バンドの活動が一時的にも低迷したり、何年間も途切れてしまうと、楽器の状態はどんどん悪くなり、次に始めるためには大変なエネルギー(元の状態に戻すための調整)が必要になりますし、場合によってはもう使えないというような事にもなりかねません。
 また学校行事などに組み込まれていたバンドの存在価値、存在意義もなくなり、バンド活動が再開しても元の立場になかなか戻れない事もあります。
 すべての先生がバンドを指導できるわけではなく、バンドを指導するのがメインの仕事でもないので、先生だけに責任を押し付けることはできませんが、ある一定のレベル・人数のバンドを指導者が何人も替わっても維持できるということも、考えなくてはならない大きな問題だと思います。
 中学校でも先生が替わって、どちらの先生も同じように知識や指導力があると思えるような場合でも、うまく現状を維持できなかったり、一時的にでも活動が低迷する場合があります。それはなぜでしょうか?
 一番の原因は、指導法が標準化されていない、我流であるということだと思います。
 これまで教えてもらっていた先生と、今度の先生の言うことが違う。前の先生の言うことを信じていた生徒達は今度の先生に不信感を持つ、反発する、活動が続かない等々。
 小学校の場合は、次にバンドを引き継いでくれる人が見つからない場合の方が多いようです。これも「指導法が標準化されていない」ことが大きく影響しているように思います。

 例えば、ある地区のすべての小学校で「金管バンドメソード」の通り、どこも省略せず練習を進めていると、その地区の中のどの学校にどの先生が替わっても同じように練習を続けることができます。このメソードは廃盤のようです。
 吹奏楽でもいくつもあるバンドメソードのどれかを使って、その通りに練習を進めていけば次の先生も楽に引き継ぐことができます。
 本来、小学校のバンド活動はその程度で十分なはずです。

 吹奏楽では昔から有名な「ファーストディヴィジョン・バンド・メソード」も、小学校の4〜6年生くらいを対象に考えればとてもよく考えられた教則本だと思いますが、本来の目的であるバンドの合奏教本として順に練習している学校はあまり見たことがありません。

 それぞれのバンドで指導者のアイデアが練習に生かされるということは当然あるべきことですが、基本的な共通項が大部分を占めている中に指導者の個性がプラスされているという状況でないと、指導者間で受け継いでいくことはできません。
 「あの先生が行く学校ではどこでもいいバンドができる」というのは素晴らしいことですけど、「あの先生が出た後はどこもバンドが無くなる」というのは公立学校としては困ったことです。

<17. 指導内容の標準化>

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