<不思議な練習>


 小学校よりも中学校で見かけることが多いんですが、今でもわけのわからない不思議な習慣を続けている学校があります。
 まず、体力作りとして腹筋運動や腕立て伏せに長い時間を取っているバンドがあります。中学校で、2時間の練習時間の中の30分以上も「体力作り」に時間を割いていた学校がありました。確かに体力は付くでしょうが、楽器の演奏に必要な筋肉は楽器の練習の過程で身に付いてくると思います。
 クラリネットやサックスのマウスピースだけで練習の前に毎回何分間もビービー(ギャーギャーか?)鳴らしたり、新入生には何週間(ひと月以上?)も楽器を持たせずマウスピースだけを吹かせるというのも今でも見かけますが何の意味もないでしょう。夏休みのコンクール前に合奏をしている中学校で、1年生はまだマウスピースしか持たしてもらえず、その無意味な音が響いているということもありました。
 楽器が足りないので何かの足しに、というのならしかたがありませんが、楽器があるのなら楽器を吹いて音を出すというのが音楽的な最上の練習方法です。それ以上に、楽器を吹いたほうが楽しいということもあるでしょう。
 楽器から出る音を聴かないと息やアンブシュアをコントロールすることができません。すべての吹き方の問題点は音色でチェックします。音色の聞こえない練習は音楽的ではありません。
 生まれて初めてその楽器を吹く生徒にはマウスピースだけで吹き方を説明し、音の出る仕組みを理解させることも必要だと思いますが、その過程が終われば楽器で音を出すこと以上に効果的な練習方法はないはずです。
 金管のバズィングも同じで、これだけを大きな音で長い時間続けるのは(特に初心者にとっては)弊害の方が大きいと思います。唇が開いてしまって、楽器を付けてもバズィングみたいな音色になる危険性があります。
 かなりよく吹けるようになった生徒に、ある目的のために特別な練習をさせることはあるかもしれませんが、そういう時には何のためにその練習をするのかをよく説明し、その練習の音量や時間まで細かく指定した方がいいでしょう。

 もう一つ、これは練習の習慣ではありませんが、よく見かける不思議な光景があります。
 大太鼓をたたく前から左手でヘッドを押さえて完全に音を止める(音が出ないようにする)演奏スタイル?です。曲によってはそういう音が必要な場合もあるかもしれませんが、本来ドラムやタムの胴は鳴った時の響き・音色のために材質や深さと直径のバランスを考えて作られています。その余韻を全部無くしてしまっては楽器の価値がありません。大太鼓も楽器です。
 まず音を鳴らして響かせ、その後余韻が長すぎる時はミュートする。ティンパニではごく普通にできていることが、なぜか大太鼓ではできなくなるのは不思議です。

<ひとつ前に戻る>

< Home >